【全文シリーズ】日和下駄を履いた猫①

Ⅰ.元祖『日和下駄』――『日和下駄』で歩く東京 序章 『日和下駄 一名 東京散策記』という題からして、「東京の街歩き」を趣味とする私は避けて通れないという思いにさせられる。 『日和下駄』は、1914年夏のはじめ頃からおよそ一年余り「三田文学」に連載されたもので、1915年に単行本として出版された。荷風はその「序」において、《かく起稿の年月を明にしたるは此書板成りて世に出づる頃には、篇中記する所の市内の勝景にして既に破壊せられて跡方もなきところ尠からざらん事を思へばなり。》と記している。さすがに一年で大きく変化するとも思われないが、『日和下駄』はその後も出版され、読み継がれており、荷風が起稿年月を明記したことによって、描かれた情景がいつ頃の東京か明確になり、研究者の立場からは、貴重な資料になる。荷風はこのように変化する「はかなき今」を切り取り、後世に残したい、そのような思いももっていたのだろう。 荷風がここまで「変化」を意識したのは、実際に大きな、しかも急速な「変化」を感じとっていたからであろう。明治後期の日本は産業革命の進行によって、とくに東京の江東地区などは工業化、都市化が進行し、地域は急速に変貌し、江戸時代からの情景が失われていった。そこへ1910年の東京大水害、翌年の吉原大火災はあっという間に地域を変貌させてしまった。このような実体験から荷風は「自分が描いた東京が、いつまた失われてしまうかもしれない。いつの時点の東京なのか、明記しておかなければならない」と感じたのだろう。実際…

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【全文シリーズ】日和下駄を履いた猫②

Ⅱ.日和下駄を履いた猫――漱石編 序章 吾輩が日和下駄を履くとなれば、二足必要だ。な~に、気にすることはない。荷風先生と吾輩の飼い主である漱石先生から一足ずつ借りれば良い。「何?おまえは甕の中に落ちて死んだんじゃないかって……」。所詮、小説の世界だし、そんなこと気にする必要もない。そもそも、猫が人間の言葉をしゃべって、100年以上まかり通っているじゃないか。 荷風先生は『日和下駄』という作品で、「淫祠」から始めて「夕陽」まで、テーマごとに東京の街歩きを書いている。これを漱石先生の作品に当てはめてみていこうというのが、『日和下駄を履いた猫』の趣旨である。かつて西洋には「長靴を履いた猫」というのがいたが、それとは趣を異にする。 第1章 荷風先生は『日和下駄』の第二を、《裏町を行こう。横道を歩もう。かくの如く私が好んで日和下駄をカラカラ鳴して行く裏通りにはきまって淫祠がある。》と書き出している。何やら、「猫が歩くところ淫祠あり」と言われているようだ。それにしても、「祠」と書かずに、「淫祠」と書くあたりが、いかにも荷風先生らしい淫らさが伝わってくる。 荷風先生は、《淫祠は大抵その縁起とまたはその効験のあまりに荒唐無稽な事から、何となく滑稽の趣を伴わすものである》と書いて、東京市中各地の淫祠の類を紹介しているが、漱石先生の作品に「淫祠」は登場するのだろうか。 漱石先生と「淫祠」と言うと、真っ先に思い浮かぶのが穴八幡だ。穴八幡と言うと赤ん坊の虫封じで有名な神社。けれども、漱石…

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【全文シリーズ】日和下駄を履いた猫③

Ⅲ.日和下駄を履いた猫――鏡花編 序章 錬兵場で夕陽に焼き尽くされたように気が遠くなって、気がつけば吾輩何やら見覚えのないところにいる。のそのそと歩き廻っていると、あっちにもこっちにもウサギがいる。よく見るとホンモノではない。そこは文豪猫の吾輩、とっさに察しがついた。ここは鏡花先生の家ではないか。鏡花先生のウサギ好きは有名だが、猫好きかどうかわからない。だいたいが、干支に猫のないのが悪い。トリ年の代りに猫年があれば、鏡花先生だって、猫好きになっただろうに。そんなこんなではあるものの、吾輩、とにかくおすずさんから食べ物など頂いて、鏡花先生の家猫として、生息しているようである。 とは言っても、吾輩は猫である。あちらこちら歩き廻る。一応、話の流れから言って、日和下駄を履かねばならぬ。吾輩が日和下駄を履くとなれば、二足必要だ。な~に、気にすることはない。荷風先生と吾輩の飼い主である鏡花先生から一足ずつ借りれば良い。「何?おまえはどうやって鏡花先生の家にやって来たって……」。そんなこと気にしていたら、鏡花先生の小説など読めん。このことは漱石先生だって認めていること。そもそも変幻自在な鏡花先生の小説が、100年以上まかり通っているじゃないか。今年は、鏡花先生がめでたく150歳を迎えられた記念すべき年※。さあ、読者諸君!吾輩と一緒に日和下駄を履いて、東京市中、歩き廻ろうではないか。(※この文章は2023年に書かれた。) 荷風先生の『日和下駄』に従えば、最初は「淫祠」である。何やら期待がもてそうで…

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【全文シリーズ】日和下駄を履いた猫④

Ⅳ.日和下駄を履いた猫――秋聲編 序章 鏡花先生の舎弟が、秋聲先生が建てたフジハウスに入居したというので、ちょっくら見に行った。見に行ったが鏡花先生からいただいた日和下駄の鼻緒が、こともあろうか両方共切れ、ずいぶんすり減ってもいたので、秋聲先生が気をきかせて、吾輩に新しい日和下駄をくれたので、ついでに居座ることにした。もともと吾輩、本郷の生まれであるから、実家へ帰ったようなものである。所詮、猫なんてものは、ふらっと現れて、ふらっと消えてしまうから、おすずさんも鏡花先生も、吾輩の姿が見えなくなったからと言って、それほど心配することもあるまい。吾輩、鏡花先生のおかげで、ますます変幻自在、合わせ技なるものも覚えたから、行く末、楽しみである。 行く末、楽しみではあるが、実は今までと同じような趣でやっていけるかどうか、吾輩、甚だ心もとない。すでに鏡花先生のところでそれを感じ、「合わせ技」なるものも使って何とか乗り切ったが、秋聲先生の日和下駄を借りての吾輩、「つまみ食い」の術を使わねばならんかもしれん。 とは言っても、荷風先生の日和下駄も履き続けている吾輩、やはり「淫祠」から回らねば……。 第1章 《お島は作との縁談の、まだ持ちあがらぬずっと前から、よく養母のおとらに連れられて青柳と一緒に、大師さまやお稲荷さまへ出かけたものであった。》と『あらくれ』にある。お島は天性目性が良くないので、「お前は目がわるいんだから能くお詣りをしておいで」と養母から言われ、多分のお賽銭を蟇口に入れても…

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【全文シリーズ】日和下駄を履いた猫⑤

Ⅴ.日和下駄を履いた猫――犀星編 序章 吾輩、今まで東京市に暮らしておったが、初めて東京府〇〇郡なるところに住むことになった。と言っても、東京市と何ら変わるところはない。何しろ、田端には芥川龍之介先生も住んでおられる。吾輩、ひょっとしたら龍之介先生のところで飼われる運命にあるかもしれん。しかし、今のところわからん。そもそも運命なるものがあるかもわからん。 第1章 とにかく吾輩、犀星先生の家で飼われることになったものの、荷風先生の日和下駄も履いているのであるから、「淫祠」から回らなければならない。 ところが犀星先生、淫祠には興味がなかったか、作品の中にほとんど登場しない。それでも浅草に惹かれたのは、「御多分に漏れず」である。と、言いたいところであるが、上京者の犀星先生にとって、浅草は淫祠というより、都会の象徴であったようだ。 『洋灯はくらいか明るいか』には、初めて東京へやって来て、友人によって、その日のうちに浅草に連れて来られた時のことが、《田辺はどうだ犀星驚いたかと恰もこの群衆が田辺の所持品ででもあるように、大きな眼をひらいて彼は云つた。》《江川の玉乗りの小屋の前に出たとき、私は玉乗りが見たいというと、田辺は叱つて田舎者と云つた。》《今夜見た公園にあるいろいろな生活が私に手近い感銘であった。小唄売、映画館、魚釣り、木馬、群衆、十二階、はたらく女、そして何処の何者であるかが決して分らない都会特有の雑然たる混鬧(こんどう)が、好ましかった。東京の第一夜をこんなところに送った…

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【全文シリーズ】日和下駄を履いた猫⑥

Ⅵ.日和下駄を履いた猫――龍之介編 序章   犀星先生の日和下駄を履いて、あちらこちら歩き廻っているうちに、吾輩、とうとう馬込まで来てしまった。犀星先生は動物好きで、吾輩の他にも猫を飼っていた。《猫はけふ夕方になりて漸く水を飲めり、これまで水も飲まざりしなり、吐瀉物の中にみみずの如きものうごめく、元気なけれど生命に別状あらざるべし》などと日記に書くくらい、愛情を注いでいる。馬込では泥棒被害が多いということで、ブルドックの「鐵」を飼い、他に土佐ブルの「ゴリ」、柴犬の「ミチカー」なるものも飼われるようになっていった。みんな吾輩と違って名前がついている。犀星先生、《ブルドックの仔は馬鹿のごとき面相なれど、記憶力深し。精神的には文明の餘沢を持てるが如し》などと、日記に評しているが、不細工などと言われる吾輩にとっても、このような評価は嬉しいものである。犀星先生、コオロギまで飼っていた。 などと、呑気に語っていて、吾輩、はたと気がついた。「吾輩もともと、犀星先生の家にやって来た時から、龍之介先生のもとで飼われる運命」を感じていたはずだ。ところがすでに龍之介先生は死んでいるではないか。これでは、運命もへったくれもない。何とかせねばならぬ。そこで思いついたのが、龍之介先生の次男多加志だ。犀星先生の娘、朝子ちゃんと中里幼稚園から朝子ちゃんの家までいっしょに帰って来るのだが、ある日、吾輩に気づいた多加志君が、どうしても飼いたいと、お父さんの龍之介先生に頼んで、「まあ、猫なら河童より飼いやすいだろう」と、了…

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【全文シリーズ】日和下駄を履いた猫⑦

Ⅶ.日和下駄を履いた猫――藤村編 序章 吾輩、かなりムリのある展開で、とにもかくにも藤村先生の家で飼われることになり、藤村先生の日和下駄をもらうこととなった。荷風先生の日和下駄は、さすが本家だけあって傷むこともなく、吾輩履き続けている。 文夫人は龍之介先生が熱烈なラブレターを送っただけに、実にかわいい感じだったが、静子夫人は美人で知的な感じがする。どことなく日本人離れした顔立ちである。藤村先生、フランスで暮らしたことがあるから、ちょっとそんな雰囲気をもった静子夫人に惚れたのかもしれん。 ところで吾輩、漱石先生のところで飼われたのが最初なだけに、荷風先生と漱石先生の日和下駄を履いて、歩き廻るようになったのは良いが、ついつい調子に乗ってしまい、「文豪猫」などと粋がって、飼い主を渡り歩いてしまった。 荷風先生はテーマを決めて『日和下駄』を書いたが、その荷風先生だって、小説ときたら、「淫祠」と「樹木」が一緒に出て来たり、そこへ「水」が加わったりすることだってある。漱石先生は東京を舞台に、たくさん小説を書いているし、情景を描写するのが好きだったから、吾輩も何とかやっつけることができたが、他の諸先生方、なかなかそうはいかん。東京を舞台に小説を書くことが少ない先生もあれば、たとえ東京を舞台にしても、会話が多かったり、人物描写が多かったり。そこで吾輩、「合わせ技」とか「つまみ食い」とかの術を使わざるを得なくなった。 今や、藤村先生の飼い猫となった吾輩。幸いなことに藤村先生。鏡花先生、秋聲先…

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【全文シリーズ】日和下駄を履いた猫⑧

Ⅷ.日和下駄を履いた猫――ふるさとの日和下駄 序章 永井荷風の『日和下駄』を読みながら、私もふるさと金沢の『日和下駄』を書くことができないだろうかと、考えてみた。 荷風はほんとうに日和下駄を履いて、東京の街を歩きまわったのだろうが、今、私が日和下駄を履いて金沢の街を歩くことはできないだろう。そもそも、ここ何年か私は金沢へ行ったことがないし、行ったとしても葬式の帰りに、ほんの何時間か立ち寄る程度である。それでも書いてみたいとなると、思い出の中の金沢を書くしかない。私は荷風ほど観察力が細かくないし、すでに思い出すことができないことも多い。自分自身も満足できない文章になることを覚悟で、金沢を思い出すことの喜びを優先して、ふるさとの『日和下駄』に挑戦してみたい。 ひとつだけ相応しいことは、私が思い出す金沢は、私がまだ「日和下駄」を履いて生活していた時代である。下駄の歯が欠けたり、下駄の鼻緒が切れて困ったという経験をもっている人も、だんだん少なくなっているだろう。もちろん、北陸の人間には、日和下駄だけでなく、高下駄も必要である。 荷風は『日和下駄』で、いくつかのテーマを定めて東京を描いている。「淫祠」・「樹」・「地図」・「寺」・「水・渡船」・「路地」・「閑地」・「崖」・「坂」。私もこのテーマに沿って書いていきたいが、「地図」というのは書けないかもしれない。金沢の「坂」についてはすでに書いたので、ここでは略したい。別のテーマで触れた部分もあるので、内容が重複することもあるが、その点、お許し願…

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