新緑にむかう季節、私は地下鉄白金高輪駅で降りて、地上に出た。少し行くと、立行寺(白金2丁目2-6)の前。南側の台地の下をバス通りが東西に伸びる。北側の低地地域が白金1・3・5丁目で、南側の台地地域が白金2・4・6丁目と、奇数・偶数でうまく分けられていて、とてもわかりやすい。西にむかって進む空は、北半分は快晴の青空、南半分は背高く立ち上がった黒雲で、《片側は空も曇って、今にも一村雨来そうに見える》、まさに『白金之絵図』の書き出しのような天気。鏡花の心憎いまでの演出を感じる。
氷川神社の前を過ぎ、三光坂下の交差点まで来て、右折。すでに前方に突き当りが見える。道は鍵の手に折れ、すぐ真っ直ぐに麻布田島町、古川へとむかう。この鍵の手部分、現在の白金3丁目11-10に、かつて吉祥院があった。与五郎が担ぎ込まれた接骨医は吉祥院の前というから、現在、耳鼻咽喉科の望月医院(白金3丁目10-18)が建っている辺りだろう。少し行って左側、現在の白金3丁目11-5に鷺の森稲荷があった。
三光坂下交差点まで戻り、バス通りを再び西へ。やがて左手に白金の丘学園。この学校は港区立神応小学校・三光小学校・朝日中学校が合併した小中一貫校。行く手に北里研究所の高層ビル(プラチナタワー)が聳え立つ。そのビルの手前から左へ折れると、まっすぐ先に聖心の煉瓦塀が見えてくる。ここから斜め右に進む道もある。
とりあえず直進すると、煉瓦塀が続く辺りから上りになる。鏡花が描いた赤い煉瓦塀である。当時はつくられて数年だったから、さぞ赤さが際立っていたことだろう。この坂が蜀江坂で、とりあえず通用門のところまで行ってバス通りまで引き返し、今度は斜め右に入って行く。名前からしても鏡花の作品にふさわしい雷神山へ行くためである。旧神応小学校前を過ぎ、白金6丁目10-1の角で左折すると、上り坂になって、やがて「明治坂」の表示。もともとこの辺りには、「雷神の坂」「雷神坂」などと呼ばれる坂があったが、途切れたり、経路が変更になったりするうち、その一部が大正時代になって、「明治坂」と呼ばれるようになった。
雷神山は現在、児童遊園になっている。地図で確認した時、バス通りからすぐのところにあった。けれども雷神山というからには「高い」という印象から、坂をどんどん上り詰めてしまった。けれども雷神山は見当たらない。本来、「地理屋」というのは、他人に道を尋ねることを好まない。プライドが許さない。許さないが、地元の人たちとの会話の機会にもなるし、思わぬ情報を得られることもあるので、「情報収集は調査の第一歩」などと自分を納得させて、わからない時には道を尋ねることにしている。与五郎だって、道を尋ねたから、お町のような素敵な女性に出会うことができたではないか……。
明治坂上の家の前にたたずむ女性に尋ねる。「この坂を下りて。」「えっ、下の方ですか。」「そう、この辺は起伏が複雑で、ここから見ると雷神山は下だけど、古川の方から見ると、高いところに見えるの。」
なるほど、そういうことかと、的確な表現に納得し、明治坂を下り、教えられた通り、旧神応小学校前まで戻って、向い側の狭い道を抜けると、確かにそこは雷神山児童遊園。園内には大木があり、薄暗い感じだが、ブランコや滑り台など遊具がある。戦後、氷川神社に合祀されたが、かつてここに雷神社があり、今、「雷神誕生の碑」が建てられている(写真㊦)。つまりこの遊園はかつての境内で、東にむかって少し曲りながら参道が伸びている。ここで空は黒雲、ポツポツと雨が降り出す。まことに鏡花らしい演出である。いや、ほんとうに降っているからすごい。北側は急斜面で、階段になって、その先にバス通りが明るく見える(写真㊤)。地図の通り、確かにバス通りからすぐのところにあった。「山」だから「高い」ところという思い込みは恐ろしいものである。
かつての参道を通って、突き当り。左折するとすぐバス通り。右折すると旧神応小学校前の道。これで感覚がつかめたが、雷神山児童遊園の入口は、地元の人でなければわからないような、確認しにくいところにあった。
(つづく)
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